物理的と非物理的

〇現代では「殴りかかってきた人を、手を触れずに気で飛ばす」と公言する人がいます。それに対して、喧嘩に寛容だった頃は、そんなことを言う人はいなかったように思います。なぜ、現代になってそのような人が出現したのでしょうか?

〇現代は法治社会ですから、「俺がお前をぶちのめしにいくから、本当に気で飛ばせるのならばやってみろ」と言って殴ったら傷害罪になってしまいます。つまり、本当にできることを証明しなくて良いのです(弟子を相手に飛ばすのは証明にはなりません)。だから、「殴りかかってきた人を、手を触れずに気で飛ばす」ということを言えるわけです。

〇これに比較して、数十年前までは我が国も喧嘩に寛容でした。「喧嘩両成敗」的な考え方から「なんだ喧嘩か」「喧嘩だぞ、面白そうだ」といった風潮があったように思います。「殴りかかってきた人を、手を触れずに気で飛ばす」などと言っていたら、町で殴りかかってこられる危険性があるために言えなかったのでしょう。

〇もっと遡って考えてみると、江戸時代は今と比べたら非物理的なものが流行っても良いはずなのに、「気で飛ばす」話は思ったよりも少ないのです。そんなことを言っていたら、殴られるどころか刀で切り殺されていたからでしょう。うそなどつけないシビアな時代だったのです。「遠当ての術」も実は隠し武器を投げていたようです。

〇医術の分野に目を向けてみますと、鍼灸を「気を注入する」などの非物理的な療法と考える人もいますが、私が考える鍼灸は違います。鍼灸はれっきとした物理療法です。

〇かつての人々も、医術には物理的なものを求めています。それが、国民医療として根付いていた漢方・鍼灸・あんま・指圧・骨つぎ・整体などです。もし、それらが「加持祈祷」などと並んで非物理的なものだったら、国民医療として根付かなかったでしょう。今のように保障がなかった時代ですから、身体の調子が悪くて働けないことは、場合によっては死を意味していたわけです。そんなときに、非物理的なものに身体を預けようとするでしょうか。堅実・確実・物理的に身体を治せる手段を選んでいたに違いありません。皆さんは骨折したときに、非物理的な療法に最初に行きますか?多くの人は整形外科に行くでしょう(現在は医師の同意書なしに整骨院=接骨院が骨折の施術をすることは、応急処置を除いて禁じられています)。大切な身体は堅実・確実・物理的に治さなければならないのは、当然のことです。

〇なぜ、実態のある物理的な鍼灸が非物理的なものと混同されることがあるのでしょうか?それは、西洋医学の発展以降、「物理的・非物理的」で区別されていたものが「科学的・非科学的」で区別されるようになったからです。

〇鍼灸や中国古来の鍛錬法(本来の気功、太極拳など)は、極めて物理的です。「殴りかかってきた人を、手を触れずに気で飛ばす」などという非物理的なものでは決してありません。かつての太極拳使いもプロレスラー相手にガチンコの対決をしており、ビデオに残っています。中国拳法(太気拳)×極真空手のガチンコ対決も有名なところであり、これらは東洋の鍛錬が実態のある物理的なものである証明です。療法でも、鍼灸はハリやキュウという媒体を通して物理的・直接的にアプローチしています。残念ですが、かつての国民医療であった頃の鍼灸よりも効果が劣っているのは、西洋医学の発展以降は鍼灸が衰え、本来の技術が失伝してしまっているからなのです。

〇もし、「科学的・非科学的」で分けてしまったら、人間の心臓が動いていることすら科学的には解明できていないのです。しかし、確かに胸に手を当てれば心臓は鼓動を打っているし、大勢の人前で話すときには心臓が高鳴ります。非科学的であっても「心臓が動いている」という感覚は、物理的でありハッキリと感じ取れるはずです。

〇中国古来の鍛錬法(本来の気功、太極拳など)も同様です。かつて日本で言われていたように「下っ肚(したっぱら)」に直接的・物理的にアプローチし、東洋的に身体を鍛える手段です。分かってみると、筋力トレーニングと同様に直接的・物理的です。「丹田」を商売にしようとする人たちの中には、ことさらに神秘的、オカルト的な宣伝をしている人もいるようですが、それは尾ひれがついたものだと思います。「不思議さ」をアピールすることによって、気功や太極拳などが普及して習いに来る人が増えれば、気功教室の経営に貢献する、という側面もあると思います(もちろん、堅実でうそのない気功や太極拳などを教えているところも当然あります。気功や太極拳などを否定しているわけではありません)。

〇もう一度言いますが、鍼灸や中国古来の鍛錬法(気功や太極拳など)を「殴りかかってきた人を、手を触れずに気で飛ばす」などと同様な非物理的なものと考えるとしたら、それは間違いです。多くの人が国民医療としていた鍼灸や、「下っ肚(したっぱら)」と言われていた丹田感覚は、はっきりと物理的に感じられるものであり、決して非物理的なものではありません。「肚(はら)に力を入れて」「肚(はら)が据わる」(”肝(きも)が据わる”は間違いです。”肝っ玉が据わる”が正しい)、肚(はら)と肝(きも)は意味が違います)などの丹田を意味する多くの言葉が残っているところをみると、かつての多くの人々は、それらの感覚を身体で物理的に感じ取っていたと思います。それは、心臓の鼓動と同様にハッキリと感じていたでしょう。ちなみに、現代人では「「下っ肚(したっぱら)」(=下焦)に力をいれようとしても、胃の辺り(=中焦)に力が入ってしまう人が99%です。「腹式呼吸をすると横隔膜が下がって・・・」などとする解説の多くは、西洋科学的な立場からの解説であり、全員ではありませんが、自分自身の身体感覚で理解していない解説者が多いことに落胆します。

〇断っておきますが、私は非物理的なものを全面的に否定しているわけではありません。「殴りかかってきた人を、手を触れずに気で飛ばす」は信じていませんが、気を施術に活かしている人はいるかもしれません。特殊な能力を所持している人も存在するでしょう。日常生活でも、「この人と会って話をすると元気になる」ということもあるのですから・・・。なによりも、私はそれらについて理解していないので、分かったような口をきく資格はありませんし、それらをある程度尊重する必要もあると思います。しかし、非物理的なものを追求していくと、途方もなくオカルト・摩訶不思議な世界に入って行き、新興宗教か否か区別がつかなくなってしまう例も見受けられます。そして、それらは必ずといって良いほど「尾ひれ」がつき、ことさら過大に言い伝えられるケースも存在するのではないでしょうか?ですから、当方の鍼灸施術については、「物理的か非物理的か」で線引きをし、「鍼灸施術はれっきとした物理療法であり、非物理的な療法とは区別している」ことをハッキリと意思表示したいと思います。

〇患者さんから「気を注入するのですか?」「気は手から出るのですか?」などと聞かれることがあるので、私の考えを説明するためにこの文章を書いています。当方の鍼灸は科学的ではないが物理的であり、「殴りかかってきた人を、手を触れずに気で飛ばす」などの非物理的なものとは一線を画す、ということを主張したいと思います。

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