東洋医学の歴史と現状

T我が国で独自に成長した東洋医学



我が国の東洋医学は、2000年前に中国大陸でスタートしたものが約600年前に渡来して独自に進化し、明治時代まで我が国の医学のメインを担っていました。

しかしながら、明治時代を迎えて医師免許ルールを法制化するについて、我が国の伝統医学である東洋医学を廃止し、西洋医学だけが取り上げられたため、その後、東洋医学を追求する人が大幅に減り、下落の一途をたどるはめになりました。

しかし、近代になって細菌性病態よりは成人病などが重要視されるようになるのに伴って、東洋医学が再評価されるようになったのは、皆様もご存じのとおりです。

21世紀を迎えて科学の進歩にはすごいものがありますが、東洋医学のフィールドとなると未知な面が多くあります。例えるなら、鍼灸で施術するツボや気のルートは、その中身についてはなかなか分かりません。近頃では、大手の医療メーカーなどが、ツボと気のコースの考察を行っていますが、まだまだの感は否めません。漢方処方におきましても、三昧以上の生薬を交ぜただけでも成分分析は極めて複雑になり、昨今の科学技術では完璧には分析できていないようです。

しかし、古の大陸を源とする東洋医学には、2000年に及ぶ歴史が存在します。古の大陸で作られた東洋医学は、西洋医学的な検査法とは全く異なり、自覚症状や肉体にタッチして分かる情報を探るなどして、病気の所在を見つけていきます。その結果、経験の積み重ねの上に、個々人に重きを置いた独特な医学が誕生しました。そうして認識した経験の積み重ねを、古代の陰陽や五行により理論づけて近年まで伝承されてきた訳です。

東洋医学の特徴を検証してみると、診察は患者自身が感じる症状に重きを置き、そのため個人個人の体質を重視する処方で、治療は体全体のバランスを考えながら、生薬や鍼灸、按摩、飲食、運動処方などを用いて改善するものといえます。


U大陸の東洋医学との違い



我が国に伝来した東洋医学は、江戸時代の鎖国の影響で、我が国と大陸では別個の進歩を遂げることになりました。
江戸時代より前は、我が国の医学者が大陸に渡り、大陸で新しい医学を学習して、我が国に持ちもどって継承していました。室町時代に大陸に渡った田代三喜がマスターした医学は弟子の曲直瀬道三に伝えられ、後に後世方という学派を誕生させました。
しかし、鎖国後は我が国固有の進歩を遂げ、東洋医学の古典の一つ「傷寒論」をバイブルとする学派「古方」が誕生し、東洋医学のメインを背負っていきます。一方、この時代、大陸では、我が国にほとんど伝わらなかった温病学説なる熱病の施術法が誕生しました。

明治となって退廃の一途をたどっていた東洋医学は近年になって再建されますが、それは古方派をメインとして後世方派も含んだ日本漢方となりました。

その診察・処置は、陰陽・虚実・気血水等々の基本理論で病気の状況と過程を細かく区分し、証を絞って処方を決定していくもので、随証療法といわれます。

反面、大陸では1949年に中華人民共和国が登場して後、西洋医学のドクターの不足から伝統医学に重きをおいて東洋医者の育成に努力し、大陸の4つの都市に中医学院を発足させました。

中医学は傷寒論、金匱要略だけに限らず、千金方、外台秘要等のような歴代の古典を活かして、陰陽、五行・臓腑経絡説、温病学説等をミックスした原理を体系づくりました。

ただ、大陸における国のオーダーによって急きょ、本来は進展過程の違った鍼灸の理屈と漢方薬の理屈を一体化して統一理論を束ねたため、見た感じでは理論的であるように映りながら、その内にたくさんの矛盾を抱えてしまっている感があります。徐々には歴史の中で解決出来るかもしれませんが、現在の状況では少しおかしな感が否めません。

中医学の診察・治療法は弁証論治という方法で行われます。弁証論治とは問診・望診・聞診・切診の四診から八綱(陰陽・虚実・表裏・寒熱)をもって証を分析して治療方針を導き出し、治法や方剤を選んでいく方法です。

東洋医学用語の意味も、我が国の東洋医学と大陸のそれでは少々違います。使われる1日分の生薬の量も我が国の東洋医学と対比して多く、何倍にもなることがあります。また、施術する鍼の太さや手法も違ってきます。大陸の鍼は、我が国の鍼に対して太く長いのが際立ちます。しかし、どちらの方もワイドな意味で東洋医学であることに変わりありません


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